Benjamin's LOG

戯言を 綴り続けて 早10年
記録が増えて 減るのは記憶 あと髪の毛

第165号

 今、毎週木曜日に会社で「技術文書の書き方」なる講座を受講している。
 普段から色々な文書を書いているものの、改めて文書の書き方というものを見直してみると、自分が書いている文書の中に、読む相手にとってわかりにくい表現が如何に多いかということがよくわかる。
 技術文書であれ、どんな文書であれ、肝要なのは読んだ相手がこちらの言わんとしていることを完全に理解できるような文書を書くことである。曖昧な形容詞、わかりにくい指示語、こういったものが含まれていないかどうかをチェックするだけで随分と読みやすい文書が出来ることであろう。

 と、偉そうなことを書いておきながら、ではこの日誌はどうか、といわれると必ずしもそういう点に留意してはいない。
 前にも書いたが、この日誌の最大の目的は自分のための記録であるから、別に私が誰かに読んで貰おうと思って内容を書いているわけではないのである。すなわち、読む対象は私自身、よって私自身が内容を完全に理解できるような文書にはなっている筈である。
 但し、人が読んでも全く読めない文書というのは、おそらく自分が読んでも同様に全く読めない文書になっていると思う。だから、ホームページ上で公開して、「誰かが読んでいるかも知れない」という仮定の下に書くことで、自分があとで読んでも読める文書に仕上げているのである。これが、私の考える「自己満足」の日誌のコンセプトなのだ。

 こういう哲学的(つまり屁理屈)な文書は書いているうちに訳が分からないものになり易いんですよね。
 まだ、「10月21日はトニィの日」とか、別の意味で訳わからんことを書いている方があとで笑えていいのかも。

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